やはり解像度アップが解決する
どこまで解像度を求める?
4K8Kとテレビが高解像度化する事に意味があるのかと疑問を持つように、人間が認識できる限界レベルには近づいているのかと思います。
5インチのスマートフォンであればフルHD表示であったり、テレビあれば8Kテレビになります。
そこまでいけば、これまでの長い進化に終止符を打てるかもしれません。
それは解像度が上がりすぎた本や雑誌などの印刷物と同じように、不変のものとなれるからです。
現在はそこまで達していないように、もう少しのところで止まってしまっています。
それは、他のもの同時並行的に進化を求めてしまうからではないでしょうか。
テレビの画像処理エンジンやアップコンバート機能、スマートフォンのアプリやゲームではソフトで大きな負荷がかかります。
そのため、それらを性能を高めようとするほど、高解像度では難しくなるのです。
ゲームで言えば、昔は2Dの単純なゲームでしたが、3Dポリゴンゲームになると計算が複雑化します。
最初の3Dゲームの描写が殺風景だったのも、余計な所に負荷をかけないものでした。色々なものを盛り込もうとすると、高解像度では無理があるわけです。
「Nintendo Switch」「Nintendo Switch Lite」はどちらも画面解像度が1280×720ピクセルのHD画質ですが、6.2インチと5.5インチでLiteはよりコンパクトになりました。
このサイズで1980×1080ピクセルのフルHD画質をだせるなら、これ以上の画質は必要ないものです。
スマートフォンも5インチフルHDは既にあります。
スマホ版マリオシリーズが出されたのも、これ以上のハードにスペックを求める事が無意味になってきているからではないでしょうか。
まして3Dより2Dだから面白いようなマリオシリーズではハイスペックCPUは必要ありません。
であれば、ゲームの場合、任天堂のハード開発の歴史は次世代のフルHDディスプレイハードでピークではあります。
しかし、ソフトの進化は続くわけです。より複雑化した3D表現や次世代PS5に搭載されると言われる光の表現「レイトレーシング」機能などは、まさにソフト開発ですが「そこまでこだわる必要がありますか」と言いたいのです。
ハード重視かソフト重視か
IT革命あたりから、プログラミングなどソフト重視の世の中になってきました。
それ以前はハード主体で進化してきたように、ビット数が上がったり、CPU、メモリーがアップして物理的進化が大きいものでした。
今、スマートフォンのアプリが多々あるように、ソフトでの進化を求める傾向が強くなってきています。
ちょうど昭和と平成の違いのように、ハードとソフト時代の変化を象徴しているようです。
ハードとソフトどちらが大事とは言いませんが、ハード主体でソフト開発が後に回っていた昔の方が、成長する勢いがあったように思えます。
それが日本の強みだったのではないでしょうか。
だからこそ、低迷している日本ではありますが、BS8K放送が始まった事を機に、もっと4K8K化を急ぐべきではないかと思うのです。
お読みいただきありがとうございました。
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