怒涛のスマホブーム
古い人間であるほど、スマートフォンには抵抗があるようで「スマホより携帯電話の方が良い」とか「パソコンの方が楽だ」と、どうしても悲観的に考えてしまうところがあります。今さらスマートフォンに切り替えた自分でも思ってしまいます。
ただ単に世の中に流され、スマホに切り替えた方も多いでしょうし、これは昔の人間だから思うのではなく、誰しもが多かれ少なかれ、そのように思えるところがどこかしらあるように思えます。
しかし、それは「何なのか」個人的で偏った見方となるかもしれませんが、探ってみたいと思います。
パソコン市場を二分したスマートフォン市場
これまではパソコンが定説のように CPU性能を上げ、メモリ容量を増やすことを繰り返し、パソコン市場は成り立っていました。そのため、比例関数のようにその延長上に将来があるように思えていたわけです。それが1990~2000年代までの常識でした。
その感じで行けば、パソコンを目の前に、今よりももっと効率的な作業や高度やエンターテイメントが作り出されていたのかもしれません。
しかし、当時ような頂上的思考ではスマートフォン、タブレットのような製品を作り出せる技術もアイディアもなかったように思えます。携帯電話時代は電話に受け答えするだけで、どこか手持ち無沙汰感があったように、それらの類の事はパソコンだけだったかもしれません。
その一辺倒な市場競争が王道だとすれば、今のスマートフォン、タブレット市場は遊びでもあり、寄り道でもあり、人によっては邪道となるわけです。
それが未来と現実のギャップになっているように思えます。当時の感覚からすれば、一種の別世界、パラレルワールドに入ったような感覚にもなります。
目指すところは変わってはいない!
いくらスマートフォン、タブレットが新しい市場を築いたとしても、パソコン市場に並行するだけで、目指すところは結局は変わりありません。それは、処理速度の高速化であり、記憶容量の大容量化であり、小型化、高画質化、精細化であることに違いはないわけです。
具体的に言えば、今では、パソコンもスマートフォン、タブレット、ゲーム機、すべてにおいて構造が同じようになりました。そのため、根底にある技術、スペックが上がれば、すべてにおいて仕様水準が上がることになります。
CPUの向上とメインメモリの大容量化
CPUはパソコンで言えば、インテルのcoreiシリーズやAMDのRyzenシリーズ、スマートフォンで言えば、クアルコムのSnapdragonシリーズになりますが、計算処理速度の向上が何よりのスペックアップに繋がります。そして、メモリ容量は二の次になりますが、そのメインメモリの代表的な半導体メモリーのDRAMの大容量化は他のメモリーよりも重要なことです。
この二つセットで向上することにより、より複雑で多様な計算が高速で行われることになります。
レースゲームで例えると、アクセルやブレーキどこで踏みこみ、どれだけの速度になるとか、タイヤの摩擦力、空気抵抗、と項目があればあるほど計算が多くなります。その計算が多くなればなるほど、現実に近い挙動となるわけです。
そのための高速処理とメモリーアップが必要となるわけです。
GPUとグラヒックメモリ
これはCPUとメインメモリの関係と似ていますが、こちらは画像処理する目的に使われます。そのため、性能が良いほど、フレームレート(fps)が上げられ、コマ送りのような画質にならない事になります。
また、グラヒックメモリが上げられれば、よりデータ量のある高画質なデータを扱うこともでき、これからまさに4K8K時代には大容量化には欠かせないものとなるのです。
レースゲームで言えば、映り変わりの早い背景を綺麗に映し出すことが可能になりますし、光や影、3Dと言った負荷のかかる表現には必要となります。
HDD、SSD、光ディスク、SDカードなどのメモリー
パソコンではインストールするための記録媒体でもあるHDD、SSD、またそのデータを持ち運びするために光ディスクやSDカードなどの記録媒体が使われます。これらの容量は大きい事に越したことはありませんが、常時使用するメモリーではないため、スペックアップした実感や恩恵を直接受けにくいものではあります。
ただ、これが大容量化しないと4K8K仕様も進まないところでしょう。膨大なデータを保存しておくには今後必要不可欠であるからです。
これもゲームで言えば、ストーリーの長さやボリュームで、レースゲームであれば、コースの多さや車種の多さと言った基本的なデータ量に関わるところとなります。
総括として大容量データを扱う時代をそれをどう克服するか
スマホ、タブレットのおかげで、個人で扱うデータ量が増え、膨大なデータが溢れています。データの高速処理化とデータ量の大容量化は、まさに「いたちごっこ」です。データ量が増えれば、処理は遅くなり、処理が速くなれば、大量のデータをどこに記録、保管するかとなります。
大量のデータを扱えば、遅延が発生するように、それが技術的鈍化を招いたとすれば、スマートフォンに乗り切れないもどかしさも分かります。
しかし、求めるべきところが結局、同じならば、原点に返っただけで、同じ問題に向き合わければならないわけです。
しかも、そこからは誰ももう逃げられない時(データの飽和状態)が来ているとは言えないでしょうか。
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